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2005.04.30 (Sat)

先生へ報告

家の近所を歩いていたら、偶然息子の担任の先生に会ってしまいました
家庭訪問の時、病院に行くという話はしていたんです
でも、その結果をまだ伝えていませんでした


病院では、障害のことを学校に話すかどうかはご夫婦で話し合って決めてくださいと言われていました
学校側に打ち明けて「障害」のレッテルを貼られてしまうのはイヤだけれど、でも専門機関の診断のない状態で息子への学校での対応をあれこれお願いするわけにもいきません
息子の学校での生活をよりよいものにするためには、話した上で話し合って協力しあっていかなければ・・・
そう思ってはいたのだけど、まだ自分自身の中でこの病気を受け止めることができなかったので言えずにいました


案の定、先生に「検査の結果どうでしたか?」と聞かれました
私は息を深く1回吸って
「広汎性発達障害と診断されました」と言いました
それから正直に、私自身がまだ混乱していることや、先生やクラスメイト達の理解と、まわりのサポートが不可欠であることを話しました。


先生は、今年大学を卒業したばかりの女性の方なのですが
「そうなんですか」と言ってあとは頷きながら私の話を聞いてくださいました そして、「学校には、ベテランの先生もたくさんいますし、これからどうすればいいのか教えてもらえると思います それに、クラスの子供達はみんな話せばわかってくれる子達ばかりです きっと大丈夫です」と言われました


不安なことはたくさんあるけれど、信じてお願いするしかないと思いました
私も今からはいろんな勉強をしなければ。
息子の笑顔のためなら・・・と、先生に話したことで前にすすんでいく勇気が沸いて来た私です
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EDIT  |  17:00  |  息子のこと  |  TB(0)  |  CM(1)  |  Top↑

2005.04.29 (Fri)

こどもはちゃんと見ている

obenntou.jpg

ゴールデンウィーク第1日目!
ものすごくいいお天気だけど、夫は休日出勤(´・ω・`)ションボリ
新しい勤務地にまだ慣れてないから仕方ないよね
家でウジウジしていても気分も沈んでいく一方なので、思い切って子供達と三人で出かけることにしました


お弁当を作っていると息子と娘が私のところに駆け寄って来て言いました



 「お母さん! おにぎりはお父さんと同じにしてね!!」
 「お父さんのお弁当みたいに『アレ』つけてねっ!!」



見てたのか・・・・(^-^;


海苔とハムをハートの形に切り抜いて おにぎりにペタリ♪
このお弁当に子供達は大喜びでした


EDIT  |  17:00  |  お出かけ♪  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2005.04.28 (Thu)

広汎性発達障害

広汎性発達障害



昨日病院でそう診断されました


おそらくそうであろうとわかっていたはずなのに
小さい頃から何度もいろんな施設で診断を仰ぎ、その度に
 「もう少し様子を見ましょう」
 「ADHDの傾向があるかもしれません」
 「何かあったら、また相談に来てください」
繰り返される曖昧な言葉にうんざりしていたはずなのに
はっきりと告げられたその言葉を 私の心が受け入れようとしない


ここで立ち止まってしまってはいけないとわかっています
大切なのは、これからのこと
私が理解して、守ってあげなければならないのに


広汎性発達障害・・・・・・
広汎性発達障害・・・・・・


その言葉だけが私の中で行き場をなくしてぐるぐると回っている・・・そんな感じです
いろんなことを考えているつもりでも、何も考えられていないような・・・


はやくここから抜け出さなくては
あの子とつないだ手を離してしまいそうになる前に。
EDIT  |  10:30  |  息子のこと  |  TB(0)  |  CM(2)  |  Top↑

2005.04.26 (Tue)

はじめてのブログ

sakuras.jpg

よし!今日からブログデビューだ♪
そう思い立ってPCに向かい1時間・・・書き出しが全く浮かばない
そんな私のブログです(汗)


昨日は娘の幼稚園で不審者に対する避難訓練(・・・って言うのかな)があったようです。
娘は帰ってくるなり 興奮冷めやらぬ様子で


「あのねー今日幼稚園におまわりさんが来たんだよ!ドロボウさんはにせものだけどね!!」 


うんうん、訓練だったもんね、泥棒じゃなくて不審者だけどね


「ドロボウさんに『だいすき』って言ったら連れて行かれちゃうんだって!ワタシお母さんとはなればなれになりたくないから、絶対に『だいすき』って言わないからね!!」


・・・・・・・・。
大好き!?
娘よ。幼稚園で一体何を教わってきたの・・・


その後、学校から帰ってきた息子に
「いい?お兄ちゃん、ぜーーーったいにドロボウさんに『だいすき』って言っちゃだめだよ。わかったー?」
とおおいばりで話してました。


ちゃんと説明しなきゃと思うんだけど
何をどう言えばいいものやら(^-^;
EDIT  |  14:11  |  子供達の日常  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2005.04.01 (Fri)

自閉症!?

息子の一歳半検診で、「自閉症の疑いあり」とされました
1才6か月で、言葉がまったく出ないこと、自分の世界に入ることが多く、ほかの子供や大人と関わる姿勢があまりないことなどが
その判断の理由だったと思う。

たしかに、言葉は遅いけれど、男の子は遅いって言うし、少しのんびりなだけだと思っていた。
たしかに、近所の子供たちが集まっても、息子だけ輪に入らずに、一人遊びをしていることが多いけれどそういう個性だと思っていた。

少なからずもショックを受けた私。
専門医に診察を受けますか?と言う問いかけに対して、現状を信じられない気持ちから返事できずにいると
では、保健センターで毎月行っている、親子教室に参加してみてください と言われてその日は帰った。

それからというもの、息子と他の子供の違いがとても気になりだした。

そういえば、赤ちゃんの頃おっぱい以外でねむることがなかった。
いないいないばぁをされても、全く反応しない。
おもちゃでも食べ物でも、落ちているものでも、何かを拾って口に入れるということがない。
夜泣きがひどい。
公園などに外出すると、親から離れてひとりでどこかに行ってしまう。
その時に呼びかけたり、追いかけたりすると怒って泣き出す。

たしかに息子は、少し変わっているのかもしれない。
でもそれが、私の中で「自閉症」と言う病名と結びついたことがなかった。

保健センターの親子教室に、何ヶ月も通ったが、そこでは保健婦さんや、発達心理の専門家が
みんなで遊んでいる様子を見て、時に問題のありそうな子には、専門医を紹介するそうだが
息子の場合は、運動能力や、手先の器用さなどが少し年齢的に遅れているように思えるが、様子を見ましょう。
という感じだった。

息子が2歳と2カ月になった頃、娘が産まれ、私の不安はまた大きくなる。
娘があまりにも、普通だったから。
育児書にある通りの成長をしていた
抱っこしてると眠ってしまうし、手に握ったものはなんでも口に入れる。
そんな当たり前のことが息子には全く見られなかったので、ますます心配になった。

息子が外で走り回って遊ぶようになると、道路に走り出したり路地の奥に入り込んだりして、油断できなくなってきた。
「息子!!だめよ!!!」が口癖になってしまい、息子は何かにつけて、寝転がって怒ったり泣いたりするようになり、
このままでは、親子関係もうまくいかなくなると思い、3年保育で幼稚園に入園させることにした。

幼稚園で、集団生活を経験すれば、なにか変わるかもしれない。
一日に数時間でも私が息子と離れることによって、帰ってきたときに もっと優しく接してあげられるかもしれない
保健婦さんも賛成してくれたため、入園手続きをする。

幼稚園に行くようになれば、保健センターの親子教室も卒業。
でも、幼稚園でちゃんとやっていけるのだろうか・・・・・
逃げ出したり、暴れたり、寂しい思いをしたりしないだろうか・・・・
心配だらけの入園だった。

でも本人は制服を試着してご機嫌だ。
楽しいことがいっぱいだといいね、息子。
祈るような気持ちで息子を抱きしめた。
EDIT  |  16:38  |  息子のこと  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2005.04.01 (Fri)

夜泣き

息子の断乳をしてから、夜泣きがはじまった。
寝付くまでに泣くのは、まだいい。
相手をしてやる余裕があるから。
しんどいのは夜中に目覚めて泣くことだった。

泣くと言うよりは、暴れる という感じ。
泣き叫びながらごろごろ転がり、ブリッジのような体勢になったり、頭を壁にドン!ドン!!と叩きつけながら泣く。
見ていてこわくなるほどの暴れ方だ。
落ち着かせるために抱きしめようとすると、カラダを反らせ、いっそう大きな声で泣き、暴れる。
夢を見ているのかと、声を掛けてみたり、水を飲ませようとしてみても受け付けてくれない。
泣きつかれて眠るまで、そばでただ見ていることしかできなかった。

そんな夜泣きが、1歳3ヶ月から、3歳になる頃までほとんど毎日のように続いた。
5分ほどで寝てくれる日もある。水を飲むと、落ち着くこともある。
でも、ひどいときは1時間でも2時間でも泣くのだ。

いろいろな人に相談をしてみた。
遊びが足りないのではないかといわれれば、昼間に何時間も外で遊ばせたし
お腹がすいているのではといわれれば、寝る前におにぎりを食べさせてみたり
昼間にあったこわいことを思い出すのではといわれれば、怒らないように、泣かせないように気を使ったり
市販の薬を飲ませたこともあった

それでも、これという原因はわからず、ずっと泣き続ける息子。
我が家は近所に家が密集している。
朝、外に出ると
 「昨夜、赤ちゃん泣いてたね」と言われる。
はじめのうちは
 「うるさくしてごめんなさい」と近所の人に会うごとに謝っていたが
そのうちに人の顔を見ることが辛くなってきた。
どんなに謝っても、でも今夜も泣くのだ。
誰かに責められた訳でもないのに、責められている気がする。
私自身、気持ちに余裕がなかったのだろう。

また、夜中に息子が泣き出すと、夫の機嫌が悪くなる
無理もない、毎日外で仕事をしているのだから、夜は疲れているのだ
私や息子に、何かをしたり、言ったりすることはなかったけれど、
泣き声に目を覚ますとトイレに行き、途中で壁をバン!!!と叩く音がする。
夫は夫なりに、我慢していたと思う。
でも、その頃の私には、夫のその行動でさえも恐怖で
息子が泣き出すと、抱きかかえ、夫の寝ている場所からいちばん遠い部屋へ行く。
でも、そこだと近所の家に声が聞こえてしまう・・・
外に出ると、もっと近所迷惑になる。

私は追い詰められていた
真っ暗な部屋で、泣いて転がりまわる息子を見て、涙が止まらなくなる。
この子の顔に、クッションを押し当ててしまおうか・・・・
首を絞めて・・・そして私も死んでしまおうかと、そんなことがふと頭をよぎる。
そして、そんなことを考えてしまう自分が怖くなって、息子と一緒に泣き続ける日々だった。

昼間は、気持ちも落ち着いている。
息子と近くの公園に出かけて、たくさんの人たちと話したりもした。
夜泣きがすごいんですよ、なんて話もしたけれど
自分の心の弱さはなかなか話せなかった。

私は外ではいつも、明るくておおらかな性格だったし、自分でもそうだと信じていた。
自分自身で、精神的に追い詰められているんだと言うことを認めようとしてなかったのかもしれない。
それでもなんとか、自分を見失わず、息子を愛する気持ちをなくすことなくここまで来れた。

今となっては思い出だけれど、当時のことを思い出すとやっぱり辛い。
EDIT  |  16:33  |  息子のこと  |  TB(0)  |  CM(2)  |  Top↑

2005.04.01 (Fri)

断乳決行!

息子の断乳を決意したのは一歳三ヶ月のとき。
自分の足で歩くようになった頃が、自然卒乳の良い時期、と言われているが
我が家の場合、卒乳というよりは、まさに断乳 だった。

理由は食事をとらないため。
一口ご飯を口に運んでも、すぐに私のひざに乗ってきて自分で服をめくり
飲んでいる・・・・・・。
相変わらず、夜中にも2回は起きて飲んでいるし、このままではダメだ!!と思っての決心だった。

ちょうどその時期、夫の仕事が3連休。
きっと夜中に泣くだろうし、休みのときのほうが都合がいい。

よし!!
レッツ断乳だ!!(* ̄0 ̄)/ オゥッ!!

昼間はなるべく外に出る。
体を使っていっぱい遊ばせる
私が抱っこすると、すぐにおっぱいを欲しがるので、夫に協力してもらい、抱っこは全部夫に。
うちに戻ってからも、お風呂は夫と。
ぐずりながらも、なんとか夜まで来た。
ここからが問題だわ・・・・・・
なんといってもおっぱいを飲まずに寝たことが、ない。(車に乗せたとき以外は)

案の定、本気泣きがはじまった。
もう、抱っこやおんぶであやせない。
外に出てみる。
・・・・・・・号泣。
住宅地なので近所迷惑になるので車で出かける。
車が動いている間は寝る。でも、止まると起きるし、寝入ったところを布団に・・・は無理だった。
どうやっても起きるのだ。
そしてまた泣いて暴れる。

おなかをとんとんしてみたり、暗くして静かに寝た振りしたり、
泣きつかれて寝るまで待つしかないという感じだった。

それでも何とか朝を向かえ、
次の日は私の実家に帰ることに。
あそこは田舎で、家もまばらなので近所迷惑の心配がなくていい。
息子のことを大好きな私の祖母がいるので、夫も気が楽だろうし。

実家では、夜中に息子が泣くと、祖母と二人で外に出て、
泣き続ける息子に声を掛けながら星を見た。
「泣いてもいいんだよ」といってくれる人がいると、私の気持ちもずいぶん落ち着くものだ。

しかし、その日の夜から私の体に異変が起きた
胸が・・・・・張って痛い。
今まで、3時間ごとにおっぱいを上げていたのに、それを止めたのだから無理もないのだろう。
でも、半端じゃなく・・・・・・・痛い。
その夜は、また泣きつかれて眠る息子のそばで、一晩座って過ごした。
痛くて体を横たえられないのだ。

次の日の朝、私は胸の痛みで腕を上げることもままならなくなっていた。
これでは、息子を抱き上げることもできないので病院へ行き、母乳の出なくなる薬をもらう。

病院では看護婦さんに、
「こんなに急に断乳しなくても、徐々に回数を減らしていけばよかったのに~」と言われた。

「でも、ご飯も食べてくれないし、徐々に、は無理そうだったんです・・・」
と、痛さで半べそかきながら話していた。

断乳決意から3日を過ぎた頃、やっと息子はおっぱいを飲むことを忘れてくれた。
・・・・というか、もらえないんだって、諦めたのかな。
けれど、本当に辛いのは、これからでした。
EDIT  |  16:30  |  息子のこと  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2005.04.01 (Fri)

おっぱい星人

何とか無事に生まれてくれた息子。

おなかの中で仮死状態になったのは、臍帯(へその緒)に原因があったらしい。
へその緒が巻き付いていて、それが陣痛とともに締め付けられていた様子。
へその緒が首に巻きついているというのは、あまり珍しい話でもないが
息子の場合は、首に二巻き、そして肩にも巻きついていたそうだ。

後で看護婦さんに教えていただいたのだけれど、私と息子をつないでいたへその緒は、通常の1.5倍くらいの長さがあったらしい。
息子が私のおなかの中で、まだ小さいうちに巻き付いて、
そのまま息子が大きくなるとともに伸びたのではないかという話だった。

そう思うと、陣痛が弱くて子宮口が開かなかったことも、それでよかったんじゃないかと思える。
もし、無理にでも自然分娩を望めば、息子が産道を降りてくるたびに臍帯が首に食い込んでいたかもしれない。
それでも、40時間ほど続いた陣痛の中で、赤ちゃんの心拍音をチェックしていたのはほんの2時間程度。
それ以外の間にも、苦しい思いをしていたんじゃないかと思うと
両手の中に抱きかかえた息子に、ごめんね。と言わずにいられなかった。

陣痛中に、焼肉を食べに行っていたこと、怒ってるかな・・・・(汗)。

だから、出産前に買っておいた、母親のお腹の中の音と同じ音がして、赤ちゃんがあっという間に泣き止んでしまうというおもちゃの音を聞かせても
泣き止むどころか、ますます泣いてしまうのだろうか・・・・・
苦しかったこと思い出すのかなぁ・・・・。

 ごめんね。これからいっぱいいっぱい遊ぼうね。

無事退院して、一ヶ月間実家で産後の体を休めることにする。
子育てのベテランである祖母がいてくれるし、家族だけで暮らす前にちょっと楽させてもらおう♪
・・・・なんて思っていたことは甘かった。

息子は、とにかくよく泣く子だった。
子供をあやすほかには何もすることのないうちは、泣き顔さえも可愛くて、
抱っこし続けることも母乳を含ませ続けることも苦にはならなかったが
周りの人たちはこの頃から少し首をかしげていた。

どんなにあやしても、抱っこしても、揺らしても、それで泣き止んだり、眠ったりすることが一度もない子だったから。
おっぱいをあげると、泣き止んでうとうとする。
でも、布団に寝かせるとまた泣く。
結局、私が添い寝して、おっぱいをあげたままの状態で一緒に眠らなければ、熟睡することのない子。

ご近所から、自称赤ちゃんあやしのプロのおばさんたちが何人も来て試したが、誰の手にも落ちない息子。
誰もが帰り際には
 「きっとおっぱいの出が悪いから、おなかがいっぱいにならなくて泣くんだわ」
と言って帰る。

私はその言葉を信じて、毎日、一日中おっぱいをあげつづけた。
新生児は3時間おきにおっぱいを飲むなんてウソだった。
昼間は、一時間と開かない。
すっかりおっぱい製造マシーンと成り果てた私。

一ヶ月が過ぎて、自宅に戻ってきた頃からは、泣き方が激しくなって、おっぱいでさえも泣き止ませることができないことがあった。
小さな体をバタバタとゆすって泣く。
服のどこかにトゲでも入っているのだろうか・・・・おなかでも痛いのか・・・・
あちこち調べてもわからず、息子の気持ちをわかってあげられないもどかしさを感じていた。

病院の検診では、体重も理想的に増えていて、決して母乳不足ではないと言われた。
じゃぁ、単なるおっぱい好きなのか!?
なんて思いながら、ひたすらおっぱいの日々・・・・・。
どんどんカラダは丸々と金太郎さんみたいになっていき、6ヶ月で8キロ。それはそれで可愛かったんだけど・・・。
体が重いせいか、寝返りできるようになったのが9ヶ月の頃。ハイハイが11ヶ月くらい。
全てがゆっくりだったけれど、1歳三ヶ月では、あんよができるようになって可愛さ全開♪
そしてこの頃断乳を決心。
そのとき、おっぱいを飲む間隔がやっと3時間になっていた。
EDIT  |  16:26  |  息子のこと  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

2005.04.01 (Fri)

私が母になった日

出産予定日を10日ほど過ぎた日の明け方、かすかな腹痛で目を覚ました。
待ちに待った陣痛。もう何度も何度も出産に関する本を読んでいたので、間違えようのない本物だと確信した私。
初産の場合は陣痛が始まってから10時間以上かかるらしい、
それに、私の行ってる産院は、陣痛の間隔が5分以内にならないと、病院に行かせてもらえないし
まだまだ余裕だな・・・とのんびり過ごす。
昼になり、相変わらず陣痛らしきものはあるけど、痛みも弱いし、間隔も長い。

よし!!こうなったら、あれだ・・・・。

私は困惑気味の夫を引き連れて、焼肉屋へ(笑)。
だって、妊娠してからというもの、体重管理が厳しくて、ずっとずっと食べたいものを我慢してきたんだもの。
赤ちゃんが生まれたら、しばらくは外食なんてできないしね。
出産に耐えるだけの体力も付けとかなくっちゃといわんばかりに、お肉を頬張る
途中で陣痛がきたら、少し動きが止まる私。
きっと夫はハラハラしていただろうけど、本人はご満悦(笑)

うちへ戻り、あとは時が来るのを待つのみなのだが
陣痛はなかなか間隔が狭まらず、結局産院へ行ったのは次の日の朝になった。

産院に着いてからも、なかなか本格的な陣痛はやってこない。
周りの妊婦さんがどんどん陣痛室から分娩室に移動していくのに、すっかり取り残され気味。

夜になり、ついていてくれた夫もいったん家に帰り、暗く静かな中で隣の妊婦さんの悲鳴を聞いていると
どんどん不安に狩られてくる。
あんなふうに痛くならないと産まれないのかな・・・・。
すっかりビビリモードの私(爆)。できることなら、もう一度、妊娠前に戻れないだろうか・・・なんて
赤ちゃんに失礼なことまで考えたりして。

夜中になって陣痛が少し強くなってきた。軽く深呼吸をしてみる。
看護婦さんが、「まだまだだろうけど、とりあえず、分娩監視装置、つけてみようか」と言って
私のおなかに太いベルトのようなものを巻いた。

それをつけてまもなく、どこからかピーッピーッと信号音のようなものが聞こえてくる。
なんだろうな~~と周りを見回していると、看護婦さんや助産婦さんが私のところに走ってきた。

 「赤ちゃんが苦しがってますよ!!大きく息を吸って!!!」

え!?私に言ってるの?よくわからないけど、言われたとうりにする。

2分ほどで落ち着いたらしく、看護婦さんたちは戻っていった。

  今のなんだったんだろう・・・・大丈夫なのかな。

それから1時間ほどは何もなく時が過ぎ、「窮屈だろうからこれ、外しましょうね」と、監視装置をはずされる。
そして数時間後、また監視装置を付けられ、つけて5分もしない間にまた異常を知らせる音が。

バタバタと数人の人が来て

「息を吸って!!」「四つんばいになって!!」

と、いろいろ指示をされるが、なかなか赤ちゃんの状態がよくならない。

そういう状態が4分ほど続いただろうか、看護婦さんから、先生を呼んで帝王切開になるかもしれないよと言われる。
その時私は、内心「ラッキー♪」なんて思ってしまった。
だって、周りの人を見ていたら、こわくてこわくてたまらなかったから。

朝の4時過ぎ、医師が呼ばれ、夫が呼ばれ、帝王切開についての説明を受ける。
分娩監視装置で出た異常は、赤ちゃんの心拍数が弱っていたことを知らせるもので
数分以上続くと赤ちゃんに影響があるそうだ。
もしかしてこれってやばいのかな・・・・と、やっと状態がわかってきた私。

  散々出産に関する本を読んで、自然分娩に関することは勉強しまくったのに、帝王切開のページは見なかった・・・・(泣)
  今から何されるんだろう・・痛いの嫌だな

そんな風に考えていたことは一瞬にして頭の中から消えた。

  この子は私が守らなきゃ
  私だけじゃない、夫の子供でもあるんだ。
  絶対に産むんだ!

理屈ではなく本能的に・・・とでも言えばいいのだろうか
私の中から強く湧き出てくる感情
・・・この瞬間に、私は母になったんだと思う。

そして5時30分過ぎ、息子が生まれた。

私は意識が朦朧としていて、息子の手・足・顔を見て五体満足に生まれたことを確認した後のことはよく覚えていない。
後になって、夫が生まれたばかりの息子を抱っこして,廊下で看護婦さんに撮ってもらった写真を見た。
きっと、あの時夫も父になったんだと思う。
あの夫の顔は一生忘れられない。
EDIT  |  16:24  |  息子のこと  |  TB(0)  |  CM(4)  |  Top↑

2005.04.01 (Fri)

捨て子だったワタシ

「アンタは捨て子なんだよ」


物心つかないうちから ずっとそう言われて育ってきた私



1才で両親が離婚
母親は父親の暴力や浮気に耐えかねて、他の男性と家を飛び出し、
父親は一人では私を養育できないと、自分の両親に私を預けた
そして3歳で祖父が他界し、私はそれ以来 ずっと祖母と暮らしてきた


祖母は、私が後で事実を知ってショックを受けないようにと
小さい頃から「あんたは捨て子だよ」と私に話していたらしいが
「捨て子」という言葉の持つ響きは、子供だった私にとってはとても辛いものだった


今になってみるとなんてことのないことだけれど、
私は小学生の頃、学校の授業で恐竜の勉強をしたときに
「ステゴザウルス」という恐竜の名前に過敏に反応していた。
先生が、友達がその名前を口にするたびに
誰かが「mariちゃんとおんなじだ」って言うんじゃないかと怯えていた
びくびくしながら
「私は捨て子じゃない、預けられてるだけなんだ」と自分に言い聞かせていた


それでもテレビで 離婚して子供を取り合っている夫婦のドラマやワイドショーを見るたびに
自分はどうして、両親のどちらとも一緒に暮らせないのか
捨て猫や捨て犬のように 私は親に捨てられたのだろうかと考えていた



頼れる人は祖母ひとりだった
祖母は、祖父が亡くなってからというもの、仕事をしながら必死で私を育ててくれたし
誰よりも私を愛してくれた
夫を亡くして、子供もみんなひとり立ちしてしまった祖母にとっては、私は生きがいだったのだ
私も祖母のことが大好きだった
叱られて、「お父さんやお母さんのところに行きなさい」と言われる時と
親子愛のテレビを見たとき、必ず泣きながら「mariは本当のお母さんに会いたいの?」と聞くとき以外は。


だって、私を捨てた両親のところに行けと言われるのは「死ね」と言われているようなものだし
本当のお母さんなんて、1歳で別れたきりで顔も知らないのに、会いたいと思えるわけもなかったから。


父とは一年に数回会っていた
私を預けてからの父は、水商売を転々とし、失敗しては借金を祖母に押し付け 行方不明になったかと思えば
「mari、新しいお母さんだよ」と若い女性を連れてきたりしていた
恋愛には事欠かなかったようだけれど、結局はうまくいかない
自由奔放にわがままに生きていた人だけれど
私は父ことを嫌いにはなれなかった
一年に何度かしか会わない父は、とても優しくて何でも知っていて、都会の匂いがした



中学生の時 父が結婚すると言い出し、私は内心うれしかった
私にも、普通の家族ができるんだと。
でも父が
「おふくろからmariを取り上げるのはかわいそうだから mariは今までどおりおふくろと暮らさせようとおもう」
と言った時 誰にも気付かれないところに隠れてひとりで泣いた
父は、妻や子供という存在を手に入れることが出来ても、私は母親も兄弟も、得ることは出来ないのだと感じた。
私はまた、捨てられるのだと・・・




それからの私は、親には何も期待しなくなった
結婚の話は結局 まとまらなかったようだが、もうそんなことはどうでもよかった
ただ、私は絶対に両親のような生き方だけはしないと心に決めた
絶対、あんな風にはならない
手に入れることの出来なかった「家族」を、いつかきっと自分でつくるんだ
そう思って生きてきた


今、私は「家族」を手に入れた
夫は優しくて、子供たちはかわいい
それでも時々不安になる
この幸せが いつか私の手の平からこぼれていってしまうんじゃないか・・・
母親の愛情を知らない私が 子供たちを愛していけるのか・・・


もう二度と、誰からも捨てられたくない
誰かを捨てるようなことも したくない
EDIT  |  15:36  |  つぶやき・・・。  |  TB(0)  |  CM(2)  |  Top↑

2005.04.01 (Fri)

セミの森

自由研究(2005 summer)


テーマ : 夏休み! - ジャンル : 学校・教育

EDIT  |  10:00  |  息子のこと  |  TB(0)  |  CM(2)  |  Top↑
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